• 炭窯の天井上げ神事

     夏には上がると思っていた炭焼き窯の天井がやっと上がりました。ここ長崎のあちこちで見る炭焼き窯は、黒炭を焼く土窯がほとんどですが、長野県で炭焼きを習った私の作れるのは白炭を焼く石窯なので、やけにごつごつした窯だなと感じられるかもしれません。
     天井上げは信州ではしばしば窯上げともいい、家でいえば棟上げに相当するもので、まだ完成ではありませんが、家と同じようにこのタイミングで、お祓いをして、良炭の産出と安全を祈願する神事を行います。

    事務所がお諏訪さんのすぐそばにあり、昼休みに散歩した時、祝詞の上げ方が書いてあるのを見つけ、覚えようとしてみたのですが、すぐに無理だと悟り、きわめてテキトーな祝詞で形ばかりの神事を行いました。「○○させ給え」のあとに、「アーメン」と続けてしまわないことだけ気を付けるという、下手をすると却って罰が当たるんじゃないかと気になるぐらいです。
     窯場のすぐ近くに作業場を構える手刻み大工の池上一則さん、音楽友達である「空見風」の十九本ひとみさんご夫妻が立ち会ってくださいました。池上さんは、(いずれ詳しくご紹介したいと思います)、上棟式を司ることもあるという話なので、きっと吹き出すのをこらえるのが大変だったことでしょう。十九本さんは、たまたま二胡の練習がてらにふらりと遊びに来てくれただけなのに、ご自身のブログでやけに立派にこの日のことを書いてくださいました。(ひとみさんのブログ)おかげで、罰当たらないような気がしてきました。お付き合いくださった御三方本当にありがとうございました。

     窯づくりはこれが最後という気がしていて、それだけにできるだけあとから気になることの無いようにしたい気持ちがあり、随分と時間がかかってしまいました。この日の天井上げも本当なら2日前に終えているはずだったのだけど、急に窯床をやり直したり、煙道を直したりして遅れてしまいました。窯上げのあとに、釜揚げうどんと洒落を利かせた打ち上げをするはずが、天井が上がらないうちにうどんをすするというさえない話になってしまいました。
     そんな追い込みの2,3日の間に来てくれた、竹活ラボの近藤さん、天井上げを見せてあげれなかったばかりか、こき使ってしまってすみません。しかし非常に助かりました。あれがなければ、この日の窯上げも危ないところでした。本当にありがとうございました。いずれ労働奉仕という形でお礼させていただきたく思います。
     また、事務所のKちゃん、倅と娘それに倅のお友達Mちゃん、慣れない仕事頑張ってくれてありがとう。この場を借りてお礼申し上げます。みんなの流してくれた汗を無駄にしないように、初窯までの残りの工程をがんばります。

  • 稲佐小学校のエノキ

     長崎の林業の取材で稲佐山に登り、その一環で稲佐小学校に立ち寄った。四年前の初春ここで子供たちと一緒に一本のエノキの苗を植えたことがあり、久しぶりにその木にも会ってきた。
     大切にしてもらっていることが、その樹勢からうかがえる。標柱も何度かリニューアルしていただいているようで、「ヒバクエノキ3世」の文字も褪せることなくはっきりと読み取れる。

     長崎に被爆樹木はあまたあるが、このエノキは広島で被爆した木の子孫である。2世は山里中学校の校庭に大きくそびえていて、この木はその種から僕が育苗したものだ。
     1世と2世にまつわる物語が、児童文学者、長崎源之助(2011没)の筆により「ひろしまのエノキ」として描かれている。2世のうちの1本が長崎の中学校にやってきた経緯には、広島の女子中学生と源之助が織りなす物語があった。作家の描いた数ある作品に負けぬほどの美しい物語だが、ここでは割愛する。
     源之助の作家としての原点は大村の旧海軍病院(現国立長崎医療センター)にある。戦地から引き揚げてきた彼が、そこで出会った原爆で傷ついた子供たちとの交流は、2008年「汽笛」という作品に描かれている。彼の絶筆である。

     作家の死後、彼を慕う方々(長崎源之助追悼委員会)が、山里中にあるひろしまのエノキ2世の子供を、原点の地である長崎医療センターに植樹しようという取り組みをされ、その育苗を当時勤めていた長崎県民の森に依頼されたのだった。育てたエノキの兄弟たちは、医療センターのほか、募集に手を挙げてくれた長崎市内12の小中学校に植樹した。稲佐小学校はそのうちの一校だったのである。そのほか長崎県民の森にも植えたので、機会があれば会ってやってください。前述の2作品も置いてあります。

     稲佐小学校で植樹した時のことは、忘れることができない。
     植え終わった後、同行していた追悼委員会の方が、物語の読み聞かせと平和の講話をされた。子供たちはそのお返しに、母校のヒーロー福山雅治の「くすのき」を歌ってくれた。長崎でこんなことを口にすれば袋叩きにあうに決まっているから、これまで言ったことはないのだが、正直言うとその時まで福山の曲をいいと思ったことは一度もなかった。しかし、壁に大きく張り出された歌詞を目で追いながら子供たちの歌声を聴いているうち、図らずも涙をこぼしてしまった。初めて福山をすごいと思った。隣にいた追悼委員会の女性は僕の倍涙を流していた。そして、帰りの車中で彼女はこう言った。
    「あの歌を持っている子供たちに私たちが話すことは何もないわ。」
     
     僕は、それ以後植樹に訪れた学校では、子供たちに「皆さんのおじいさんおばあさん、または親類の方が原爆にあわれたという人はいますか?」と尋ねることにした。ほとんどの学校でほとんどの子供たちの手が挙がった。僕の住む大村ではそんなことはないだろう。

     書いていたら、8月9日がやってきた。(投稿 福田)

  • 居小屋つくり

    白炭の窯場には少なくとも2つの小屋が必要です。一つは窯の前(窯庭と言います)に作る窯小屋と、窯の近くに作る炭焼き小屋です。白炭は、黒炭のように一窯で大量に焼くことができませんので、回転で勝負します。冬に野良仕事のできない雪国では窯場に泊まり込み、付きっきりで焼いていました。そこで、炭焼き小屋が必要になるのです。南国長崎で焼く場合にも、窯出しのタイミングが思ったようにいかないと真冬に徹夜で窯出しなどということにもなるので、できれば小屋はあったほうがよく、僕はこれを居小屋と呼んでいます。

     親方から習ったときは、炭焼き小屋は、「束建て(つかだて)」窯小屋は「叉手建て(さすだて)」の小屋組みをしていました。理由はたぶん、炭焼き小屋は壁を付けるので、それには束建てのほうが都合がよいことと、壁を打ち付けることで、筋交いなどの斜め材がなくとも安定するからだと思います。しかし構造上叉手建てのほうが頑丈なので、私は居小屋も叉手建てにしています。

     私は親方から習いましたが、その後どこかで見た明治時代に書かれた毛筆書きの炭焼指南書にも、図面付きで掲載されていました。そこでは、ねそと言って、灌木や蔓で縛って組むように書いてありましたが、その技術を持たない私はなまし番線を使っています。釘やかすがいを使わず建てられるのも大きな利点です。

     独特の構造でしかもとても理にかなっているので、ご紹介します。

    左の写真が、叉手建て小屋の構造です。一番の特徴は棟木を支える叉手を桁からではなく、柱の根本から立てていることです。それにより筋交いの働きを持たせることができるので、とても丈夫になります。小屋を建てようとされている方は参考になさってください。

    完成するとこんな感じです。

  • 伏せ焼きの勧め

     年度が替わって以来、森づくりの志を抱く方々との新たな出会いがいくつもありました。この仕事の大きな喜びの一つです。今年はどうしたわけか、竹炭を作って農業に利用しようと考えている方々と数多く出会いました。みなさんいろんな方法を考えておられ、なるほどこんなやり方もあるのかと勉強になります。
     私のおすすめの方法を一つご紹介します。と言っても私がやりだしたことではなく、うんと昔、山仕事修業時代に私の親方が言い出したことです。ある人が、「自分が育てている若者に農業をやらせているのだが、炭や木酢で土壌改良をしたい。ついては、彼らに炭焼きを教えてやってほしい」と頼んできました。親方は一言のもとこういいました。「そんなのにわざわざ窯築くことない、畑の中で炭焼きすればいいじゃないか。炭も、木酢も自然に土の中に入っていくだろう。」それを聞いたその人は、「あ、なるほど!」とひざを打って関心なさっていました。
     方法としては、「伏せ焼き」という、もっとも原始的な炭焼き法です。以来私も何度か山仕事で出た雑草木をこの方法で炭にし、木を植えるときなど植え穴に入れてみたりしましたが、根の活着、その後の成長など目に見えて違っていました。 竹を焼いてみたことはなかったので、初めてやってみましたので、手順をご紹介します。

    まず穴を掘り、煙突を立てます。穴の深さは炭材の量によりますが、最低1スコップ分は掘ります。穴の大きさも自由ですが、今回はドラム缶を縦割りにしたものを使いましたので、それに合わせました。親方は、煙突もドラム缶も何も使わず、スコップ一丁で全く無造作に土をかけるだけのようにやっていました。やってみるとわかりますが、それにはよほど煙を読むことのできる感を身に着けていなければなりません。ドラム缶を使うと、熱の量が足りない時、追い焚きがやりやすくなります。

    穴の中でたき火をして、十分な燠を作ります。たき火している時間を利用して、炭材である竹を割って準備しておきます。

    燠の上に敷き木を敷いて、その上に炭材である竹を隙間なく積みます。

    炭材を粗朶などで覆いドラム缶をかぶせます。

    煙の様子を見ながら、少しずつ隙間を埋めるようにしながら土をかけていきます。炭化が開始されたことが認められたら小さな吸気穴を除いて完全に土で覆います。炭化の開始は、煙の臭いで判断しますが、慣れが必要です。操作が早すぎたら、追い焚きをします。

    青煙になったら煙突も吸気口も土で完全に密閉し、一日以上さましてから窯出しです。
    今回は窯を止めてしまわないよう用心して、あまり絞らなかったので、炭化が早く進み、翌朝行ったときには完全に煙切れになっていて、炭を随分減らしてしまいました。何回かやれば、ちょうど良い絞り具合がわかってくるかと思います。

    こういったことを、畑の中で点々とおこなえば、良い土壌改良になるのではないでしょうか。またこのような原始的なやり方でも、炭焼き技術の基本を身に着けることができます。炭焼きを志向される方は是非お試しください。大村まで来れる方はご指導いたします。
    (投稿、福田)